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おもいつくままに

おもいつくままに217  2021.2
スターティングノート

「人間いつかは死ぬ、必ず死ぬ」ことは誰もが分かっている。しかし自分の場合は何時(いつ)なのか? を深く考えたことなどなく、何の根拠もなしに「80ぐらいまでは生きるだろう」と漠然と思っていました。そんな76歳を目前したある日に「がんの告知」、それも「ステージ4」。

このとき主治医は余命についてはっきりしたことは言わなかったが、私自身は医師の話す行間を読んで「あと半年か?」と思い、かなりのショックではありました。これを境に死ぬ時期と死ぬ場面が頭に浮かび、「死ぬこと」について深く考えるようになりました。

死というもの、それは、あの胃がん摘出手術の際。「麻酔から覚めなかったら?」を、考えながら手術室に向かった。術中5時間強は、眠っているのとは明らかに違う感覚、意識としては「完全に死んでいた」。あのまま目が覚めなければ、そのようなものが死=無なのかもしれないと。

がんの余命を告知するようになったのは「残された時間」を有意義に過ごすため、とどこかに書いてあった。私は70歳ごろから「エンディングノート」を創っていた。これはある意味私にとって「魔除け」のようなもので、そんなに早く必要になるとは思っても見ませんでした。

人生の「残された時間」にいったい何を? と考え、まず浮かんだのは死後カミさんの混乱を最小限にするため「エンディングノートの完成を急がなければ」ぐらいでした。最近ではイメージの悪いエンディングではなく「スターティング」という名に変えてのノートが出現している。その後もいろいろ考えてはみたが、「やり残したもの」があまりないことに安ど感が生まれてきている。

息子のメガバンク勤めや、孫たちの成長は極めて順調、障害の娘も施設で安定した生活を送っている。

仕事面で考えても、ライフワークとなった70歳で起業したビジネスマッチングの仕事。中断して1年経った今でも新規訪問をしていた顧客から思い出したように電話がかかってくる。もう一度お客さんのところへ行ってみたいと思うくらいで「どうしても」ということでもない。

心残りがあるとすれば予約していたカミさんとの金婚式海外旅行。コロナで予約取り消しになってしまったが、一昨年中に行っておくべきだった。コロナ後の海外、東南アジアぐらいならどうだろうか? 海外は無理としても城崎の温泉旅館でカニ食い放題ぐらいなら行けるだろう。

次には 「飲み会仲間に会いたい」ということ。月1回は必ず開いていた飲み会が二つある、一つは10回も海外へ同行した銀行OB仲間の飲み会「三水会」。もう一つは銀行後輩や、2度目の銀行勤めで知り合ったマッチングコーディネーターやビジネスマッチングで知り合った仲間たちとの飲み会「二金会」、会いたいなあ!あの人たちに。

そう言や「青春18切符でどこか遠くへ行ってみたい」「一度は歌舞伎観たい」も実現していない。

 

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