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エンターテイメント


エンターテイメント198 TVドラマ  2021.08

NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲  初回放送. 2009年11月29日(日)

撮りためた映画やドラマのDVDから 再鑑賞

日本が近代国家へと歩み始めた明治時代、伊予国(現在の愛媛県)・松山に3人の男がいた。後に連合艦隊参謀として日本海海戦の勝利に貢献する秋山真之、その兄で日本騎兵の父となる好古、俳句・短歌の中興の祖となった正岡子規。彼らはただ前のみを見つめ、明治と言う時代の坂を上ってゆく。

原作は司馬遼太郎の同名小説。3部構成、全13回。第1部全5回は2009年11月から12月に大河ドラマと同じ20:00から、第2部及び3部のそれぞれ全4回は2010年・2011年12月の19:30から放送された。

この3年間に放送されていた大河3作品(天地人・龍馬伝・江)など大河ドラマは通常1回45分であるが、当作品は1回90分で制作されている。制作費も大河ドラマを上回るケタ違いの規模であるという。

出演者は、主演の本木雅弘をはじめ、阿部寛香川照之菅野美穂石原さとみ、松たか子など若手〜中堅の実力派から多数起用。また、ベテラン勢からは渡哲也をはじめ、高橋英樹、加藤剛、石坂浩二、西田敏行、舘ひろし、柄本明、伊東四朗、渡辺謙(語り)など日本を代表する役者たちが起用された。過去の大河ドラマで主演をした役者も多く出演している。

このドラマ、上記のごとくスケールはけた違い、出演者も豪華この上ない俳優陣である。その役名は歴史上に名を遺し、私の知っている歴史上の人物(下記に記す)だけでも大変な人数である。それらの人物、キャストを紹介します。

キャスト

秋山 真之(本木雅弘日露開戦に際し連合艦隊参謀に就任。「生還の見込みの無い作戦は立てない」を信条に日露戦争に臨み日本海海戦では自ら編み出した「丁字戦法」によってバルチック艦隊を打ち破る。 日露開戦に向かう艦隊で打電した「天気晴朗なれど波高し」はあまりにも有名。

秋山 好古(阿部寛北清事変後は清国駐屯軍司令官となり、天津に滞在。帰国後は騎兵第1旅団長となり日露戦争を迎え、騎兵第1旅団を中核とした「秋山支隊」を率いて遼陽・黒溝台・奉天に参加し、ロシアのコサック騎兵を大いに破る。戦後、大将まで昇級して退役すると故郷・松山の中学校の校長を務める

正岡 常規(香川照之帝国大学に進学するが、結核に冒され一時帰郷を余儀なくされる。病が癒えると再び上京、大学を中退して新聞「日本」の記者となり俳句の革新に邁進するが、結核が再発。動くこともままならなくなりながらも旺盛に創作活動を行うが、結核と脊椎カリエスの病の発症と進行には勝てず命を落とした。死後「日本俳諧の中興の祖」と評価される

正岡 律(菅野美穂子規の妹。真之からは「リーさん」と呼ばれる

佐久間 多美(松たか子好古の妻。旧旗本佐久間家の娘。

秋山貞(竹下景子) 真之・好古らの母。久敬の妻

秋山久敬(伊東四朗真之・好古らの父。晩年は八十九(やそく)と号する

正岡八重(原田美枝子子規・律の母。律と共に上京し、子規の身の回りの世話をする。

広瀬武夫(藤本隆宏) 豊後竹田出身。海軍兵学校時代は真之の一期先輩で後に親友となる。早くからロシアの脅威を感じ、独学でロシア語を習得。その努力が認められ、兵学校卒業時の席次が低いにも拘らずロシアへの官費留学生に指名される。
ロシアの内情を探る一方で、アリアズナをはじめとするロシアの人々とも親しく交流し、ロシアを「第二の故郷」と公言するまでになる。帰国後は戦艦「朝日」の水雷長となり、旅順閉塞作戦においては指揮官の一人に選ばれるが、第二次閉塞作戦の際に戦死する。遺骸はロシア海軍の手で丁重に葬られた。

島村速雄(舘ひろし日露戦争開戦時の連合艦隊兼第一艦隊参謀長。

東郷平八郎(渡哲也日露開戦が迫るや常備艦隊司令長官、次いで連合艦隊司令長官に任命される。真之を連合艦隊参謀に招聘し、作戦立案を一任。日本海海戦では真之・加藤と共に敵弾が降り注ぐ甲板上で指揮を執り、日本軍を勝利に導いた。

山本権兵衛(石坂浩二日本を世界の五大海軍国に押し上げた立役者。日露開戦前夜、海軍大臣として常備艦隊司令長官である日高を説得・罷免し、東郷を後任とする。

乃木希典(柄本明日清戦争時は第一旅団長 日露戦争では第三軍を率いて旅順要塞の攻略を担当するが将兵に多大な犠牲を出し、自身も二〇三高地の戦いで息子・保典を失う。

児玉源太郎(高橋英樹日露戦争で満州軍総参謀長 味方が進撃しながら援護砲撃するという作戦(いわいる同士討ち可能性が大きい)を断腸の思いで実施し、二〇三高地を陥落させる。

山県有朋(江守徹) 元老。枢密院議長。日清開戦に反対する伊藤には陸軍への押さえを期待されたが、陸奥・川上の根回しで開戦を支持する。日露戦争では参謀総長を務める。乃木に対し、激励の漢詩を認めるが、旅順攻略に手間取っている乃木に対しては怒りを露にする

大山巌(米倉斉加年日清戦争では第二軍司令として乃木や好古らを率いて旅順を攻略する

森林太郎(森林太郎 → 森鴎外)(榎木孝明

明治天皇(尾上菊之助第122代天皇。非戦派の元老・伊藤博文の影響下にあり日露開戦には消極的だったが外交交渉の決裂を受け開戦の聖断を下す。

伊藤博文(加藤剛元老。日清戦争時の内閣総理大臣。日清戦争開戦には最後まで反対し、外相の陸奥宗光には「臆病なほどの平和主義者」と評される。

小村寿太郎(竹中直人外交官。親の作った多額の負債を抱えており、「世界一貧乏な外交官」と自嘲気味に語っている。外務大臣として日英同盟の締結に成功する一方、ロシアとの交渉も行った。日本側の全権代表としてポーツマス講和会議に出席する。

陸奥宗光(大杉漣)

桂太郎(綾田俊樹) 日ロ開戦当時首相 ロシアを非常な脅威と捉える伊藤を、「恐露病」と皮肉った

高橋是清(西田敏行日露戦争時は日本銀行副頭取を務めており、ロンドン、ニューヨークでの戦時公債の募集に奔走する。真之とはニューヨークで再会し、イロコワ族というインディアンがイギリス利用された話をして、日本も利用されると説いた。後年の二・二六事件において、暗殺された

高浜虚子 高浜清 → 高浜虚子(森脇史登) 子規の弟子

河東碧梧桐 河東秉五郎 → 河東碧梧桐演(大藏教義) 〃

藤野漸(宝田明旧松山藩主・久松家の家令

アリアズナ (マリーナ・アレクサンドロワ) 海軍大佐コバリスキーの娘

ボリス・ビルキツキー(アルチョム・グリゴリエフロシア海軍軍人。コバリスキーの甥。

ニコライ2世(ティモフィー・ヒョードロフロシア皇帝。名君といわれている父親に劣等感を抱いている。日本との交渉が行き詰まってくると弱気になっていき、遂には全面譲歩を決意する。

ウィッテ(ヴァレリー・バリノフ大蔵大臣。日露開戦反対派で伊藤博文と連携して日露協商による戦争回避を模索するが、ベブゾラゾフの根回しによって次第に皇帝の信を失い、罷免される。

ロジェストウェンスキー(アレクサンドル・チューチンバルチック艦隊司令長官。敗戦を続けるクロパトキンを「退却将軍」と罵り、自ら艦隊を指揮して極東に遠征するが、日本海海戦で重傷を負う

マカロフ(バレーリー・ジャコフ旅順艦隊司令長官。「ロシア海軍の至宝」と呼ばれるヨーロッパ屈指の海軍理論家で、真之も彼の著書を持っている。兵達からも「マカロフ爺さん」の愛称で親しまれ、彼の着任で旅順艦隊の士気が上がった。日本海軍の閉塞作戦の意図を読んで対抗策を施し、広瀬を戦死させる

クロパトキン(セルゲイ・パールシン陸軍大臣。日露開戦後は満州軍総司令官を務め、日本軍の補給線が伸びきったところを叩くという戦略を立て実行するが、傍目には消極戦術と写り、自軍の士気を低下させ、国内からは「退却将軍」と非難される。また日本軍の児玉には慎重で神経質な性格を逆手に取られ、奉天会戦では北上する秋山支隊の兵力を誤認し、優勢な状況で退却を命じるという致命的なミスを犯した。

李鴻章(任大恵清 直隷総督。外交交渉に長け、「異人転がしの達人」と呼ばれる。

袁世凱(薛勇)清 日清戦争時は朝鮮通商大臣。李鴻章の死後に台頭。清朝の滅亡を予期しており、北清事変の際も自らの私兵を温存することで清国の最高実力者となり、軍や政治制度を近代化して清国を列強の一員に押し上げることを目指す。清国駐屯時代の好古と知り合い、共通の趣味である酒と乗馬を通じて打ち解ける。

スタッフ
原作:司馬遼太郎(『坂の上の雲』/『明治という国家』/『司馬遼太郎が考えたこと』/『殉死』/『この国のかたち』)
脚本:野沢尚 / 柴田岳志 / 佐藤幹夫 / 加藤拓
音楽:久石譲
演奏:NHK交響楽団 / 東京ニューシティ管弦楽団
テーマ音楽指揮:外山雄三
脚本諮問委員:関川夏央 / 鳥海靖 / 松原正毅 / 松本健一 / 宮尾登美子 / 山折哲雄 / 遠藤利男
脚本監修:池端俊策 / 岡崎栄 / 松下和惠
題字:司馬遼太郎
語り:渡辺謙
制作統括:菅康弘 / 藤澤浩一 / 中村高志
演出:柴田岳志 / 佐藤幹夫 / 加藤拓 / 木村隆文 / 一色隆司
主題歌『Stand Alone』作詞:小山薫堂 / 作曲:久石譲 / 歌:サラ・ブライトマン(第1部)・森麻季(第2部)・麻衣(第3部)

日本が近代国家へと歩み始めた明治時代、伊予国(現在の愛媛県)・松山に3人の男がいた。後に連合艦隊参謀として日本海海戦の勝利に貢献する秋山真之、その兄で日本騎兵の父となる好古、俳句・短歌の中興の祖となった正岡子規。彼らはただ前のみを見つめ、明治と言う時代の坂を上ってゆく。

全13回の平均視聴率は14.5%、最高視聴率は第二回の19.6%(関東地区・ビデオリサーチ社調べ)。

司馬遼太郎には連載中から「本作を映像化させてほしい」とのオファーが殺到していたという。しかし「戦争賛美と誤解される、作品のスケールを描ききれない」として司馬は許可しなかった。当時、NHKもオファーを行っていたが2週間考えた末の司馬の結論は「やっぱり無理やで」だったという。司馬の死後、NHKの「総力を挙げて取り組みたい」との熱意と映像技術の発展により、作品のニュアンスを正しく理解できる映像化が可能となったとして1999年に司馬遼太郎記念財団が映像化を許諾。その後、著作権を相続した福田みどり夫人の許諾を得て、2002年には志願したスタッフを中心に製作チームが結成された。

2012年に第38回放送文化基金賞番組部門(テレビドラマ番組)本賞を受賞。また、「スペシャルドラマ「坂の上の雲」の制作手法を支えた技術開発と運用」として2010年に放送文化基金賞個人・グループ部門(放送技術分野)を受賞(受賞者代表:宮路信広)。

 


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