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エンターテイメント


エンターテイメント198   2021.07
おうち映画館 ラストエンペラー

1987年製作/163分/イタリア・イギリス・中国合作 
原題:The last emperor
 配給:松竹富士

監督 ベルナルド・ベルトルッチ 
配役 愛新覚羅溥儀;ジョン・ローン、 婉容;ジョアン・チェン         レジナルドジョンス;ピーター・オトウール
   
文繍;ウー・ジュン・メイ、 甘粕大尉;坂本龍一

私は中国清朝末期の西太后〜満州国の時代の歴史が好きです。好きな小説家浅田次郎著作の「蒼穹の昴」「中原の虹」「珍妃の井戸」などが面白かったことと、清朝末期、租界があった「上海」にも興味がありました。

上海へは2018年11月と、その20年前の2度行きましたが、清朝最後の皇帝溥儀の少年時代を過ごした「紫禁城」と西太后の別荘「頤和園」も一度は訪れたかった。北京は東南アジアへの乗り継ぎで経由したことがあったが、空港から外へは出ていない。

その後北京に行くチャンスは2度ありました。一度目はOBの旅行会11回目の「万里の長城と西安の旅」、この旅行、私自身の都合で会の旅行で初めて参加できなかった。紫禁城・万里の長城・西安にはどうしても行きたかったので、結婚50年の記念旅行で同じ規格のツアーを申し込んだ。そのご病気になってしまったことと同時に、コロナの影響で旅行会社の開催そのものが中止に。

この作品は、回想シーンから始まります。中国・ハルピン駅にはソビエト連邦の拘留から解放された中国人戦犯が大勢いました。その中に、愛新覚羅溥儀(あいしんかくら ふぎ)がいました。溥儀は戦犯たちの列から離れ、洗面所で手首を切って自殺を図ります。意識が遠のいていく中で、溥儀は過去を思い返していきます。

外国人に初めて撮影許可が下りた紫禁城での即位式は、幼い溥儀に500人の家臣がかしずく圧巻のシーンである。1987年アカデミー賞では作品、監督、撮影、脚色、編集、録音、衣装、美術、作曲とノミネートされた9部門すべてを受賞。出演のほか音楽も担当した坂本龍一は、日本人として初めてアカデミー作曲賞を受賞した。

皇帝としての生活のなかで家庭教師のレジナルド・ジョンストンに出会い、数学やテニスなど西洋の文化を学びます。16歳になった溥儀は婉容(えんよう)を皇后に、文繍(ぶんしゅう)を第二の妃に迎えました。

溥儀は3歳で清朝の皇帝として紫禁城に迎えられたのですが、お城の外へ出ることはできず、政治に参加することもはない名前だけの皇帝でした。

蒋介石率いる国民党が上海を攻略したことで、溥儀の身を案じた日本軍・甘粕正彦大尉は日本公使館へ逃亡するように誘導しましたその後1934年、溥儀は“傀儡政府”である満州国の皇帝の座につきました。

10年の収容所生活を経て、溥儀は一般市民として北京で生活を始め、文化大革命を目の当たりにします。収容所生活を送っている間、溥儀や皇族が暮らしていた紫禁城は観光名所になっていました。ある日、溥儀は紫禁城を訪れ、清朝時代に自分のものだった玉座に腰をかけてみたのです。

溥儀は紫禁城守衛の子供に「昔ここに住んでいた」と話し、玉座の隅から即位式の日に家臣にもらった何かの入れ物(こおろぎ?)を取り出し、子供に渡すシーンがありました。
そして守衛の子供が顔を上げると、溥儀の姿はなく、映画は終わります。  


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