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(あのときの「想い」をもう一度 ひろ爺のえっせー 4月号 産経新聞「ビブリオエッセー」 3回目 20230816 夕刊掲載 【書名・著者】 「深い河」遠藤周作(講談社文庫) 【見出し】 母なる大河とそれぞれの人生 インドの人口が今年半ばの推計値で世界一になったようだ。そんな報道を見て、『深い河』を思い出した。私たち日本人は亡き先祖を迎える時期だが、この小説の登場人物はそれぞれの思いを抱え、輪廻転生、生まれ変わりを信じる人たちの母なるガンジス河へ旅に出る。 磯辺は亡くなる直前の妻が残した言葉をかみしめていた。「必ず…生まれかわるから、この世界の何処かに」。だから自分を探してほしいと言いおいて妻は息絶えた。木口はビルマの戦線で生死の極限を共にした戦友の法要のため、また美津子は大学時代に関係を持った大津の行方と愛の意味を探しに。美津子には神学を学ぶ大津を誘惑した過去があった。そして沼田は自分の身代わりになったと信じる一羽の鳥への思いを秘めてインドツアーに参加した。 今年が生誕100年になる遠藤周作。機知に富んだエッセーやユーモア小説を書いた狐狸庵先生の顔とともに、キリスト教をテーマにした『沈黙』など数々の名作が思い浮かぶ。信仰や神、キリスト教についての長い思索の末、遠藤はインドにたどり着いた。 6年前、私は会社のOBと北インドを旅する機会があった。巡ったのは世界遺産など表の顔のインド。道端の生ごみを食む牛たちの姿に少し感ずるものはあったが私のイメージするカオスなインドに触れる機会はあまりなかった。小説の登場人物たちはヒンズー教の聖地ヴァーラーナスィで何を見つけたのか。 美津子は沐浴する人たちであふれるガンジス河の近くで変わり果てた大津に出会う。物語のクライマックスだ。読みながら思った。悠久の時を超えて流れる母なる大河は善も悪も、清も濁も、不条理をも流し続けていくのだろう。 ひろ爺のえっせー 3月号 産経新聞「ビブリオエッセー」 2回目 2022.8.19夕刊掲載 【書名・著者】 「西行花伝」辻邦夫(新潮文庫) 【見出し】 3度目の桜を心待ちに わが家から東へ7、8分も歩くと飛鳥川があり、同じくらい西へ歩くと曽我川が流れています。二つの川べりは桜並木でも知られ、毎年、蕾の頃から徐々に膨らみ、満開を迎え、散っていくのを見続けてきました。また東南へ、春の藤原京跡は菜の花の黄色と池の周りにある桜のピンクが見事なコントラストを見せます。 そんな桜の場面を思い浮かべながらこの小説を読み返しました。西行がまだ北面の武士、佐藤義清として院の警護にあたっていた頃。法勝寺で開かれた花の宴で「女院の艶やかな気品が、淡い薄紅の香りとなって、ほんのりと、そこに照り映える」場面。西行は花に重ねて一心に女院(待賢門院)だけを見つめていました。 『西行花伝』は章ごとに語りを変え、西行の内面まで動乱の時代の中に描きます。それは若くして出家した不世出の天才歌人を多彩な音色で織り上げた交響絵巻。待賢門院への思いを抱き続けたその生涯は私の心をとらえて離しません。かつて『背徳者ユリアヌス』を読んで圧倒され、辻文学を読み始めました。私は生まれ育ったのが東吉野ということもあり、辻さんが「構想三十年」と書いた『西行花伝』も忘れられない一冊です。 桜に寄せる西行の思いは多くの歌に残されています。「願はくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃」。やはりこの歌でしょうか。最後にその願いを遂げたといわれる生涯でした (あのときの「想い」をもう一度 ひろ爺のえっせー2月号 1回目 産経新聞「ビブリオエッセー」
守るべきもののために あの戦争の最末期、1945年8月9日にソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦してきたことを知ったのは社会人になってからだった。当時、学校ではこんな近い歴史も教えてはくれなかった。ましてポツダム宣言受諾後に千島列島の北東端にある占守島でこんな戦いがあったことはかなり後まで知らなかった。この小説は国境の島をめぐる戦争と人間のドラマだ。 最後の夏、本土決戦を見据えた大規模な動員計画の中で召集された3人。45歳の翻訳書編集者と歴戦の軍曹、若い医師を主人公に物語は進む。行先は占守島。 ソ連軍が島へ攻め込んできたのは終戦から3日後の8月18日未明だった「終わってから仕掛けてきた戦争なのだ。日本はすでに敗戦国であり戦うことは許されなかったが・・・。 島へ送られたソ連兵の複雑な心境も描かれている。「スターリンは僕らに、しなくてもよい戦争をしろと命じた」と語らせる。そしてソ連軍将校は報告書で日本兵をたたえて「領土を侵されてはならぬというこの上なく正当な理由によって彼らは果敢に戦いました」と書いた。 思い出すのは母から聞いた話だ。終戦の時、母と生まれて間もない私はピョンヤンに近い炭鉱の町に取り残された。父は現地召集で終戦となって先に引き揚げていたが私たちは帰れず、現地に留まった。その後ようやく引き上げることになり、2歳の私の手を引いた母はソ連兵を恐れて髪を短く切ったそうだ。戦時のことは多くを語らなかった母だけに記憶に残った。 浅田ファンの私はこの小説を何度か読んだ。今回はウクライナ進行や安倍元首相が凶弾に倒れたことなどがきっかけだが、改めて北方領土返還への思いがこみ上げてくる。 |