パグ犬物語

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パグ犬物語掲載2002.10~2017.12月  

 4代 ゴン太


8. パグ犬物語最終章(2017、12)
コロン → ゴロー → ゴン太、何故か ボクの名前は途中二回変わっている。確か生まれたときこの家のお母さんが「コロン」と名付けてくれたはず。お父さんはこの名前を呼びにくいのか「ゴロー」と呼ぶようになり、10歳を過ぎるようになって「ゴン太」となり最近に至っている。

初代パグ犬チーちゃんが来たとき、この家の長男は小学生だった。その後家庭を持ってこの家から独立していき、たまに一家4人でやってくる。証券会社から税理士事務所を経て今はお父さんと会社は違うが同じ銀行員になっている。初代から数えて30数年、この家にはいつもパグ犬がいた。 

14歳ごろからは目がほとんど見えなくなって、それでも長年の嗅覚と勘で部屋の中は歩き回ることができ、水も自分で歩いて行って飲むことができていた。2017年後半ごろから満15歳を迎えるにあたって、後ろ足がマヒしてしまい、ほとんど歩けなくなってしまった。

 この家の長男は、初代チーちゃんとは「受験の友」で、2階へ連れて行かれ夜遅くまで勉強につき合わされたと聞いている。その長男にも家族ができ、いまは男の子が二人いる。来春1年生になる上の子が小さいころはボクも元気で、相手をするのが楽しみだった。

 二男とともに来るようになってからは、年のせいか弱ってきているうえ、パンツを穿かされたりしていて、あまりかっこよくないところをみせなければならなくなっていた。寝ていることも多くなったので二人にはあまり愛想をすることもできなくなっていた。

 その後は寝たきりとなってしまい、老夫婦が介護を、いわゆる老老介護になっていた。それでも食欲だけは旺盛で2回の食事は毎回完食し、みかんやりんごのおやつも楽しみだった。12月になって下痢などでかなり調子悪くなり、食欲もなくなり大好きな果物をくれても食べることができなかった。

 心配したお父さんとお母さんが二人がかりで病院へ連れて行ってくれ、注射と点滴でなんとか気分がよくなり、食欲も回復し、まだ当分ボクの干支までは大丈夫だと思っていた。

 (12月)中旬を過ぎ、朝起きてみると体に力が入らなくなり、パンツを替えてもらいながら意識が薄れてきた。お父さんお母さんが見守ってくれているのを感じながら、ボクのサクラママがあの世から呼んでいるのが聞こえてきた。
 完 
                        


         
 

1. 出会い      (2002年10月 )  
 はじめましてボク、ひろ坊ン家の4代目パグ犬「ゴロー」(ゴン太)です。ボクの家にはじめてパグ犬がやって来たのは、もう20年も前のことだそうです。この家の長男太郎クンが小学生のころ、お父さんと難波千日前へ映画を見に行ったことがありました。

 そのとき見たのがムツゴロウさんという動物好きのおじさんが作った「子猫物語」(監督畑正憲 市川崑協力 声小泉今日子 1976.7公開)でした。主人公は三毛猫の「チャトラン」というかわいい子猫でしたが、脇役にけったいな犬が出てきたそうです。その犬の名はパグ犬「プー助」。これを見た時から太郎くん父子はこの「変な犬」に魅せられてしまいました

2. 初代チーちゃん   初代 チーちゃん
 太郎クンから映画の話を聞いたこの家のお母さんも、バグ犬の写真などを見て、すっかりファンになってしまったそうです。そして我が家にはじめてのパグ犬がやってきました、それが初代チーちゃんです。彼女は若い?ときなかなかの美人で(この写真は年もとっており、大分しらがも増えていますが、カメラ目線はさすがでしょう)利発な娘だったそうです。

 太郎クンのお母さんの友達は「この変な犬のどこが美人なのかわからない」と言ったそうですが・・・。チーちゃんが3歳になったころ、この家のお父さんは「チーちゃん」にようけ(沢山)子犬生ませてちょっと儲けたろ」と考えたそうです。そこで血統のよい犬だったらしいですが、チーちゃんの意思を無視し、見知らぬパグ犬とお見合いをさせられてしまいました。

3. 二代目ハジメの生と死   
 3匹の子供が産まれましたが、お父さんがチーちゃん母さんの子育ての様子を見て、動物の種族保存本能のようなものに感心したそうです。3匹の生まれたての犬のうち1番弱そうな子の世話をするのが普通だと思うのですが、チーちゃんママは弱ってる2匹を無視し、1番元気な子を必死でなめ続けたそうです。

 そうしなければ3匹とも死んでいたかも知れません。結局その一匹だけが生き残り、お母さんが「ハジメ」と名づけました。これでお父さんのよからぬ計画はもろくも崩れ去ってしまい、儲ける事はおろか、お見合い代や出産費用などで逆にかなりの出費になってしまったそうです。がっしりとした体格で小熊のような顔したハジメちゃんはかなりの「イケメン」だったそうです。  

  この家の長男太郎クンが 証券会社の岡山支店にいるとき、両親がこの家の姉さんと3人、1泊2日で岡山方面へ出かけました。宿泊先の鷲羽山のホテルから、長男と車で帰る途中、山陽道を走っているときお母さんの携帯にハジメ急死の悲報が入ったそうです。

 我が家では家族で出かけ、宿泊をするときには近くの「犬の美容兼ホテル」へ預けて行くのが通例となっていましたがその預け先からの電話でした。もともとハジメにはパグ犬特有の持病のようなものがあったのですが、預け先では大変責任を感じ、死んだあともずっと抱いていてくれたそうです。

 そのせいか家に着いて対面したときもまだ暖かだったそうです、そのハジメちゃんを抱いたお母さん、太郎君みんな泣き、お父さんの眼も真っ赤だったそうです。預け先の誠意に対し、お父さんもお母さんも一切責めることなく今でもここでシャンプーなどをしてもらい、遠出の折には預かってもらっています。

4. 三代目サクラ   3代 サクラ
 2代目ハジメちゃんが急死したのち、我が家にキャバリア嬢(キャバクラ嬢ではありません)がやってき、プリンちゃんと名づけられたそうです。この犬はとっても可愛かったのですが、うちにきた直後から下痢をしたりであまり元気がなくおかしく思い、病院へ連れて行ったところ「犬の伝染病」に罹っていることがわかり、医者にも見離されてしまいました。

 ペット屋さんにこのことを言ったところ、いったん連れて帰りましたが、すぐに死んでしまったそうです。このとき老齢だったチーちゃんにこの病気が伝染してしまいました。高熱のためあえぐチーちゃんをお母さんが氷で冷やすなど寝ずの看病と、本人(犬?)の必死のがんばりで一時は快方に向かったかに見えましたが、まもなく力尽きてあの世にいってしまいました。

 2匹のパグ犬とプリンちゃんがいなくなったあと、我が家は火が消えたようにさびしくなってしまったそうです。それからまもなく、この家のお母さんがペット屋さんで、またしてもパグ犬と運命的な出会いをしたそうです。それがボク、ゴローの母サクラだったのです。

5. 4代目ゴローの誕生  
  サクラ母さんが1歳半ぐらいになったころ、この家のおとうさんが懲りもせずまたまた「サクラの子供で一儲け」ということで、初代と同じく見合いをさせられボクが生まれました。サクラ母さんのおなかにはお父さんの期待に反してボク1匹しかいなかったため、母犬の体内で大きくなりすぎてしまいました。

 このため「帝王切開でないと母体が危ない」ということで病院で手術となりました。手術は無事成功したのですが、サクラ母さんは母性本能をすっかり忘れ、子育てを放棄してしまいました。赤ちゃん犬のボクが行ってもそっぽを向き、乳もくれませんでした。

 あわてたこの家のお母さんが、夜も3時間おきに起きてはミルクを飲ませ、必死に世話をしてくれたおかげでこのように立派に育ちました。今度の出産もお父さんの意に反して、儲けるどころか、手術費用等大きな出費となってしまい、おまけにお母さんがボクの母親代わりまでさせられてしまうハメとなってしまいました。

6. その後のサクラ・ゴロー親子 (2003年5月)  
   映画で初めてパグと出会った時は小学生だったこの家の長男にも男の子が誕生して 2年になります。  この家に来たら真っ先にパグたちとの面会となりますが 、柵の前からなかなか離れません。 この子が「犬飼ってほしい」という時がくると思いますが、「パグがいい」 と言ってほしいと思います。 

7. サクラの死  (2014年7月)
  6月のある日、ボクのママが亡くなった。2001年、サクラ ママはこの家のお母さんとペットショップで運命的な出会いがあって、この家に来た。翌年ボクが生まれて以来12年間、ママとは一度も離れたことがなかった。出産直後お乳をくれるのを拒否されたことがありましたが、ボクの横にはいつもサクラママがいてくれた。

  この家で生まれ、この家しか知らないボクは外へ出るのが大の苦手で、散歩はおろか月一度シャンプーに行くときも,ボクは心細くて迎えの車が来ると逃げ回っていた。逆にサクラ母さんは何で分かるのか、「迎えに行く」との電話があった後はそわそわ、何度もまだかまだかと外を見てはしゃぎまくっていた。

  ママと一緒だからシャンプーに行けた。また、ここの両親が旅行に出かけるときも、ママと一緒だからペットのホテルに預けられても心配はなかったし、寒いときはママの横は暖かった、何をするにしてもママのとおりにしていればよかった。

  ママが亡くなった日の夜、葬儀社の人が来た。この家のお父さんがぼくを抱っこしてママの棺の前へ連れて行ってくれたが、ママは寝ていた。なんで起きないのかボクには理解はできなかった。

  翌日あさ起きたら、いつもボクの横にいるはずのママがどこにも居なかった。そしていつもお泊りやシャンプーでお世話になっているお店から、サクラのために立派なお花が届きました。俗名サクラ、享年14歳、戒名はない。

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