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エンターテイメント 228 2024.6月号
映画&「Webサイト」
先月俳優 中尾彬が亡くなった、少し前 山本陽子も。二人とも私と同世代(2歳上)で若いころ日活の俳優だった。高校のあった大和高田市は、最近少子高齢化や都市部への人口流出によって消えていくだろう地方都市として新聞報道があったが、そのころは奈良県の第2の都市、商業・工業の中心であり、市内に映画館が8つもあった。
駅前にあった映画館「高田キネマ」は2本建(3本建ても)が50円で観ることができたので、学校の帰りによく行った。日活男優主演陣はダイヤモンドラインといって
石原裕次郎・小林旭・第3の男 赤木圭一郎・和田浩治らが主演男優陣。赤木が急逝して助演だった宍戸錠・二谷英明が加わった。女優陣には後に裕さんの嫁になってあっさり引退した北原三枝・南田洋子がいたが、浅丘ルリ子・芦川いずみ・中原早苗、少し遅れて吉永小百合・笹森礼子・清水まゆみらを「パールライン」といって主演もしくは相手役に選ばれていた。他に主演級浜田光夫がいたが、専ら吉永の相手役でアクション中心のダイヤモンドラインには入っていなかった。ずっと後大女優となった山本陽子はそのころ主演女優陣には入ってなく、高橋英樹と同期で入った中尾彬も日活ではあまりぱっとしなかったが、劇団民芸で実力をつけていった。その後日活では高橋英樹・渡哲也が大きな存在となっていった。
「閑話休題」
ホームページを開設して丸20年になる。病気で入院などしたときは少し休んだこともあったが。50歳台の終わり、銀行から転籍して3年経った家電量販が民事再生となり、「毎日が日曜日」となった2004年、「ホームページを創ってみよう」思い立ち、開設のノウハウ本とWebサイト(当時はホームページ)のソフトを買って挑んだ。当時は頭も若かったので開設にはそれほど苦労がなかったが、中身(コンテンツ)が課題であった。
まずはエッセーと言うほどでもないが雑文を「おもいつくままに」コーナーに書いていく事からはじめ、次には「エンターテイメント」に映画や読書の感想を、のちに仲間で海外へ行ったりした時には「紀行文」などを載せていった。「おもいつく」は253回と「20年間毎月1篇ペース」を上回っており、「エンター」も227回とよく続いたものと我ながら感心したりもしている。